読み解くとおもしろいから意外な方向に

またしても突然だが、世の中には興味本位で調べていくと実は知らなくて良かったなぁという結末を迎える事があります。誰しも子供の頃に憧れていたものの事実と直面すると、何だか妙に世知辛いを感じてやるせない気持ちに苛まれたという経験はあるだろう。そういう意味では日本のアニメ業界で蔓延しているブラック企業体質には、クリエイターとして働く意欲を損なわせるだけの状況に追い込まれるわけですから、知りたくなかった。ただ過労の果てに素晴らしい作品を送り出していると思えば、それでも働きたいと考えている人が減らないのも理解できるわけだが。

ただこうした社会の厳しさに関してはいずれ知ることになるのでどうしようもない、そこをいかにして理想と現実の溝を埋めていくしかないでしょう。こればかりはどうしようもない、どうしようもないが、本当に知りたくはなかったと感じることもある。おもしろいと言いつつ、調べていくと実は底知れぬ恐怖があったとなれば話は別だ。

おもしろいサイト、その意がきちんと似通っている例もあれば全く違った方向へと行き着いてしまう事もある。その例として、とある童謡を取り上げてみよう。

仮説がブラックすぎる件

取り上げる童謡は『やぎさんゆうびん』についてだ。律儀にもこちらの童謡の歌詞が気になったので興味本位で仮説を立てたと思うサイトを見つけた。筆者も気になったので見てみたが、そう考えると空恐ろしさが立ち込めてくる恐怖があるとして背筋が凍りつくような思いになったものです。

まず最初に立てられた仮説が『飢餓説』だ。突拍子もない事だが、歌詞の中で黒やぎと白やぎの双方が手紙を出しつつも、届いた手紙をお互い読まずして食べては手紙を出す、の繰り返しを謳っている。そもそもこの童謡にはどのような意味が込められているのかという点も気になるところですが、それよりもどうして歌詞の内容から飢餓状態にあるとみえるのか。そう強く主張している人たちの中には、手紙を書く理由が飢えているから食事を求める、という内容で相手がそれを見ないのは空腹のあまり食べてしまったから、と解釈しているようだ。現実的に言えばやぎが紙を食べたらお腹を壊しかねないと言われているので、厳密に言えばやぎは紙を好んで食べているわけではない。

ただ飢餓のあまりに助けを求めて手紙を送り、しかし相手に届いても見ずして食べられてしまうのだからお互いに不憫すぎる。あまり考えたくないが、言われてみれば確かにそう見れなくもないところが憎らしい。

その他の仮説

またこの童謡からは飢餓説の他にも色々な仮説が挙げられています。簡単に挙げていくと、

といったものだ。

この内二番めの恋愛説だけはないと言われている。手紙のやり取りをしていて、相手が読まずして食べるというのをお互いにしている時点でその可能性はないというのだ。それは確かにそうだが、童謡の中であまりに美味しそうな紙故に食べてしまったと解釈すれば恋文として役立っていない。だから何度も返事を書くわけだが、そうこうしている内に恋心が冷えきってしまいそうだ。

問題はこの中でも三番目の断罪しなければならない、という点についてです。この仮説を考えた人は、白やぎと黒やぎは『裁判官と死刑人』という設定があるのではと推測しています。話が一変してシリアスになりましたが、そう予測できるとも解釈している。そこまで深いかと言えばそうではないかもしれません。

ただ童話を始めとした内容は中々アグレッシヴかつかなり残酷な描写が含まれています。

実は戦慄する日本の童話

例えばかちかち山のたぬきとウサギの話などが挙げられる。現代ではとてもシンプルに悪さをしたたぬきをウサギが懲らしめるストーリーとなっていますが、本来の話ではたぬきはおばあさんを殺して皮を剥いで肉を削ぎ、その肉を入れた汁物をおじいさんに食べさせるという食人描写があるのです。その復讐にウサギが立ち上がり、これでもかとしていった先にウサギは沼に沈むたぬきを持っていた艫で叩き殺すように沈められてしまうという結末だ。

日本以外にもグリム童話で有名なシンデレラでも、ガラスの靴が履ける女性を探す王子の目に叶うようにと母親が娘達のかかとを切り落とすという凶行を見せるのです。最早ホラーですが、意外とこういう残酷描写をするのはお馴染みなのかもしれません。

だからこそおもしろい=知らなくてよかったとなる

こうした話もまた知らなくても損はしません、ただ知ってしまった以上は知る前には戻れなくなってしまいます。だからこそ知らないほうが良かった、そう言われるものもこの世にはあると言ったのです。本当にこれがおもしろいと言えるのかどうかはその人の価値観で異なってきますが、知識とすれば損得勘定関係なく見て蓄えるだけならまだ良いほうと見るべきでしょう。